statements

English/Japanese

#2
stir, stir, stir...

2016年7月9日(土) - 8月7日(日)


#2
stir, stir, stir..
2016年7月9日(土) - 8月7日(日)

参加アーティスト
大木裕之 | 金氏徹平 | フーゴ・バル* | クルト・シュヴィッタース* | 萩原恭次郎* | 村山知義* *は資料展示作家

協力
ARATANIURANO | ASAKUSA | Satoko Oe Contemporary | SHIBAURA HOUSE

statements、二回目のプレゼンテーションは、2016年7月9日(土)から8月7日(日)までチューリッヒ・ダダを現代の視点から眺める展示「stir, stir, stir...」となります。本展は100年前に興ったチューリッヒ・ダダを現代の視点で捉え直す展示となり、現在国内外で精力的に活動する大木裕之と金氏徹平を迎え、彼らの制作とダダイスト達の活動の親和性や共有しているであろう問題について考えます。 「A, B, C, を希求して、1, 2, 3, を撃破せねばならぬ」(トリスタン・ツァラ「ダダ宣言1918」,1918年)と始まったダダは、1914年の第1次世界大戦によって、それまでヨーロッパの人達が自らを幸福にしてくれると信じていた良識と理性を下に築かれた諸科学としての文化が、結果的に自らの生活を脅かしてしまった事への反省と疑いにたんを発するものでした。それはつまるところ、良識ある人としての存在とそれを支える歴史そのものへの不信感であり、1, 2, 3,という連続性や継起的秩序によって積み重ねていくことよりも、A, B, C,という相対的関係性を組み替えていくことに関心を向けていく態度でした。「291」という雑誌に掲載されたFrancis Picabiaのドローイングや、日本のダダとも言えるMAVOの活動に参加した村山恭二郎の詩集「死刑宣告」などで、彼が描いたドローイングからは、物が通常語られるはずの文脈や、構造的な体系の下に語られる事物を連続性や継起的秩序の流れから取り出し、相対的な関係によって組み替えることで、それまでのヨーロッパ社会の機構の根幹をなす、分節としての表象のあり方に背を向けることでした。そして、この事物の連続性や継起的秩序を相対的な視点によって組み替えようとする態度は過去を以て現在を規範的に縛る歴史よりも、今ここにある生の猛りに耳をすます態度であったのだと思います。それは、過去としてはすでに存在せず、未来としてはまだ存在しない。その狭間の一瞬に存在しなくなろうとするまさにそのことによってのみ存在する現在に生を求め続けることでした。Hugo BallはKARAWANEと題された音響詩で、分節を統語論的に文へと構成することで意味や概念が生起する体系から言語を逸脱させ、言語が意味や概念として生起する以前の原体としての姿を露わにし、発話の生とも言える詩を提示します。また、Kurt Schwittersはテキストにおける時制を閉じ、円環構造の中で言語の意味や概念が生成しては消失し、また生成していくという言語の意味生成における永劫回帰のような状況を作り、生への強い肯定の姿勢を提示してくれます。しかし、ここで彼らが組み替えようとする分節の指向性や、逸脱しよとした統語論的体系は当時の社会情勢と西洋的視点という特定の思想体系によってつくられた状況についてのことに他なりません。 現代、私たちを取り巻く状況は、支配的で単一の巨大な視点や指向性によって現出された表象が存在した1916年当時よりもはるかに複雑になり、多元的な視点と指向性によって現出された多くの表象が同時に存在する時代を向かえています。それは様々な異なる表象の様式によって生まれた世界が同時に存在しているということであり、同時多発的に生起する表象としての世界の中で生きているということでもあるのです。こうした状況の中で、現代を生きる大木裕之と金氏徹平はそれぞれの方法で生起しては消失していく現在の生を求めていきます。 大木はこの状況に対して、映像、ドローイング、インスタレーションという異なるメディアを用いながら、それぞれのメディアを異なった表象を現出させる場として提示した上で、同時多発的に現出する複数の現在性を生起させます。そして金氏は対象から出発したはずの表象が、繰り返し表象化され多くの人に共有されていく過程で、対象との対照性を失い、実在性を失った単なる象として表象化された世界の姿に注目していきます。そうした実在性を失い、既に現前化された世界を組み替えることで、私たちの前に新たな実在性をもって最現前化して見せてくれるかのようです。 時代や場所が違う彼らの活動はそれぞれの生きた時代と場所の状況は異なるものの、自信の前に広がる世界に何かしら硬直した状況を見出し、その状況をどうにか打破しようとする姿勢なのではないでしょうか。異なる時代と場所を生きた彼らの生をこの機会にぜひご高覧下さい。